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藤原経家 (非参議)[ふじわら の つねいえ]
藤原 経家(ふじわら の つねいえ、經家)は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿、歌人。六条を号し、六条三位とも称された。 == 経歴 == 久寿元年12月(1155年2月)に叙爵。永暦元年(1160年)右衛門佐を務め、応保2年(1162年)従五位上に叙される。 阿波権介を経て、二条天皇の崩御後も永万2年(1166年)従四位下・中務権大輔に叙任されるなど昇進を見せた。承安4年(1174年)正四位下に昇り、近江介、右衛門佐を歴任。寿永元年12月(1183年1月)に宮内卿、元暦2年(1185年)には内蔵頭を務め、文治5年(1189年)に従三位に叙され公卿に列した。建久9年(1198年)には正三位に進んだ。 承元2年(1208年)閏4月15日七条北東洞院の西辺りから火災が発生。大風が吹き、経家の邸も火に巻き込まれ焼失した〔『猪隈関白記』承元2年閏4月15日条〕。同年9月に出家。承元3年(1209年)9月19日に赤痢病のため61歳で薨去〔『猪隈関白記』承元3年9月19日条〕。 歌人としても活躍し別雷社歌合や六百番歌合などに出詠。勅撰和歌集にも歌が残る。
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